絶望だったのだが それは生まれ変わるためのこと
Lunch&Live Cafe Barをオープンしてから目まぐるしい日々でした。
楽しい事が増えたけれど、2年前とは全く違う世界が私のまわりにある。
昨年からのコロナ感染症。こいつ、ただの風邪でない。風邪、気管支炎、肺炎、インフルエンザ、etcは病気だが体を治すと治る。
コロナは体と人の心を狂わせ蝕み、破滅させる。
私は友人を失った。もちろん私の立場からみる人の心の腐敗と病みだけれど。友人の立場からみると反対なんだろう。
今までホームと思って歌ってきた神崎川の某カントリーライブハウス。そしていつも一緒に笑あってきた仲間。
生きる価値観がちがうと同じことをするのに同じ方向を向けない。悲しいけど。
大先輩で尊敬して慕ってきたかたがいた。私はミュージシャンでお客様の前で歌う。でも店に雇われているわけではない。勘違いする人間がいると聴いていたけれど。ミュージシャンは全部自分の下にいると思うのだろうか。
もちろんハコがほしいからミュージシャンはハコのオーナーには気を使う。勘違いさせる元になるのかなあ。
コロナ感染対策で心配なことがあったから人数の、確認をとったりライブのやり方の提案をしたりした。仲間からもマスターからも激怒された。
きっと、沢山の人数でやりたかったんだ。究極のところ。
沢山来た(お客さんが)、沢山呼べた、テンションあがる。儲かる。それをしたかったんだ。店もバンドも。
その時自律神経を病んでフラフラしても、自分の店とのつながりの、ライブなど頑張って行って、この自分のバンドのライブも大切にしたいからほんとにフラフラな体を引っ張っていたことはバンドの、みんなからしたら関係なく、黙って言う通りに歌っていれば良かったんだな。人形でよかったのに、口出ししたから。
マスターも売り上げないから人数欲しかったんやね。
バンマスはいままで私の話を聞くがわでいたつもりだと。
ああ、そうなんだ。
相談したり長話したりみんな歌わせるためのお仕事。大事な話をしたことも。悔しかったな。悲しかったな。大切なことを話す相手ではなかったな。
私はずっと自分もお客様も友人も店も、自分の店も守りたいと、叫んでいた。それは悪いこと?
不機嫌、お客様に挨拶もしない、お客様を送らずに帰ろうとした。最低や、ボーカルならお疲れ様‼️と送れ‼️
自分の歌をたくさんの人が聞きに来てくれるんだから人数ふえても光栄に思え‼️
リハのときに私は反発した。カチンと来て言い返した。激怒されてののしられた。頭が痛くなってふらふらになると,「ライブハウスのオーナーならしっかりせんか」とどなれた。「自分が言うた言葉を変えるな」
かえているのはあなたじゃないか。
リハより本番。笑って歌ってにぎやかに。精一杯演じた。そう、演じた。楽しくもなく歌いたくなかったけれど今日の日のために練習し、痛みにも苦しさにも目眩にも耐えてきたんだから。
終わったとたん事情をよく知る友人に倒れ込んで悔しいのと,やりきったことで泣いた。
そばでマスターに「見苦しい」と言われた。
ゲストで呼んだ友人も岸和田から来てくれた友人も喜んでかえってくれたことに感謝した。軽い荷物を運びながらお客様に挨拶をし
「リハから見てたけど本番よかったねー」と初めてみるお客様にいわれて
「申し訳ありません、体調の関係でしたが精一杯でした。ありがとうございました」そう言うと、「よかったよ」と笑ってくださった。自分の言い訳であるから頭を下げるしかなく、それでも本番歌い切れたことに感謝をした。最後のお客様にお礼を言い写真をとり店に入ると 怒鳴り声。
「さっさと帰るとは何事だ❗️お客様も送らずに❗️」
「は?」説明する間もなく口汚いののしることば。
自分を棚に上げて文句を言う。加えて、私の店の経営が義理を欠くとかお前はそんな人間やとか、全く関係のない事がたくさん出てきた。何をいわれているのかただ、ただびっくり。ここに来なくていいとか、旦那もいらんとか、生まれてから見たこともない鬼を見た。誰も口添えしてくれるひとはいない。仲間も下を向いたままうなずいている。店の経営のことまで持ち出された。新参もんのくせになんでこの人のライブをすんだ。そんなこと関係ない。それでも周りは黙っている。私がそんなに憎かったのか。だれも助ける人がいないから言葉はエスカレートする。尊敬していたかたにズタズタにパワハラれた。それだけのことを私はしたのか?
「最初にマスターに聞いた
今こんだけ人数が入って大丈夫なの?
マスターは演者さんが言うてくる人数は断れないと言うた。ならば、バンド側の問題ですねとバンマスにもちかけた。
予約人数多いよ。ここは15名でFBにあげてるから25名予約をいれたらメンバーいれて30名になる。ただでさえ動けないよ。
断れないなら二部制にしたら?
それができないなら状態を報告して基礎疾患のある方におしらせしないと困るよ。」
そのあと皆さんに公開して人数は最終に17名になった。それは不満やったんだろうな。店も仲間も。
体も体調が良くないのが重なって。だから悩み事も打ち明けたのに。
なにより「バンマスの自分のやり方についてこれないならオレはやめる」に最大のショックを受けていた。
ライブ前には会話もなかった。
マスターに怒鳴られている間、ショックで立っているのが精一杯。
バンドメンバーは言われて当然だと。自分だけ正しいと思うなと。
私がとらわれているのは二部制にできなかったことと自分の悩み事に振り回されてるからお客様のことを考えられないんやと。
そうではない。私はあなたにとらわれている。
二部制など方法論は問題ではない。悩み事もライブがあるからこえてこれたんだからライブをしてれば元気がでる。
私がとらわれて当日を迎えたのはバンマス、あなただ。
当然のようにバンド解散。それは考えていたからいいんだけど。
自分が呼んだ友人のお客様は全員入り口に送って、写真を撮って帰りました。後日、「大丈夫だった?あの後すぐにマスターになぜお客様を送らずにいなくなるんだ、帰るんだと言われて怒られてたやろ」と聞かれた。実はと内容を話すと「私らお客やのになと思ってたよ」と言われた。
聞いていてくれてなんかホッとした。私だけではなかったから。
それから1週間してその店を年内に閉店すると、発表があった。
それはうさばらし、気持ちが病んでいたから都合の標的になっただけ、忘れてあげや。
そんなことばかり言うてひとをたくさん切ってきたひとやからつぶれるんやで気にしない。色々言うてくださるかたはいる。
が、言うてもいい事とそうでないこともあるよねと、自分では思う。
私も店を持つ身として考えかたを勉強しました。
私はミュージシャンの方を大切にしたい。守りたい。自分もそうだし。
お客様も店も守りたい。
これからもぶれずに頑張りたい。
そしてどんなことがあっても家族は家族でありたい。山も谷も。あんな屈辱を与える人間をみたらみんな善人に思える。耐えることもできる。これはこれ、こんな人だと悩まなくてもすみそうだ。私も余分な考えは持たないように努力しよう。そう思えたことはプラスだったと思う。それに、長い人生、1度は爆発してどさないと自分の心が地獄になる。自分だけの爆発でもマシになったみたい。楽です。
何年ぶり⁉️
2019.6.22夏至の日 Candle Night Live
2019.6.22夏至の日に、北堀江にあるスワロウテイルさんで5回目のCandle Night Liveを行いました。タミーさんのライブと重なってしまい、日程変更しようかと思ったくらい。でも、夏至の日、冬至の日にキャンドルを灯すと言う意味がなくなってしまうし、ただのイベントではないこの日の繋がりがあると思い強行。あははは何でかタミーさんのライブは私の活力になってるなあ🤣🤣🤣❤️
その甲斐あって、沢山の方にききにきていただけました。ただ、もっと、キャンドルらしいMCができなかったのかと反省しまくりです。はじめておいそさん(千代田シルバーハウス)やなの花ディサービスさんからも来ていただいたり、三田から珠里さんもまたまた来てくださったり。「弥生の風」やよいちゃんが「ハナミズキ」をコラボしてくださったりで嬉しい時間でした。テーマの「大切なもの」は今日の私は「仲間」でした。その時々の「大切なもの」がみえる自分でありたいな。人を傷つけてしまう自分もまたひどく傷ついていることを私はダメな自分と思っていました。でもそれは優しくなれる要素なのかもしれないなあとも思えた。
そして何より、そばにいて支えて音を出してくれるバンドメンバーのホッシー&ダーティに常に感謝です‼️ありがとうございます😊
理解ある家族のおかげ、暖かい仲間のおかげ、そんな「大切なもの」を感じたキャンドルナイトでした‼️
また年末の冬至の日もタミーさんと被っているけど、頑張ろう‼️
畑はじめたの
カフェをはじめるので、野菜を作りたいと思っていました。おとなりのご主人さんにいつも手作りお野菜いただくので、どこで作ってはるのー?とお訊ねしてからあれよあれよと言うまに畑を耕しております。
大変だけど楽しいです。おとなりのご主人さん地主さんがたのおかげでトラクターを走らせてもらえたので、ほんとに、楽にうねを作るとこまでできました。ラクと言っても鍬でやってるのでたーいへん🤣🤣素人やし。近所の農家のかたが、いろいろおしえてくださるのでとても嬉しい。
トマト、きゅうり、なす、さつまいも、オクラ、の苗を植えました。タネからはいんげんやさやえんどう、だいこん、人参を植えています。
出来上がるのが楽しみです。たくさんできるといいな。
お父さんへ
父の日です。
もう11年になりますね。お父さんが逝ってしまったとき、私はいませんでした。ごめんなさい。親族の旅行で白浜にいました。でも、そんなにびっくりはしなかったの。何でかね。お父さんの痛みを私はあまりわかっていなかたのかもしれないね。
いつも、いつも雅一をおんぶして歩いてくれた。その姿がずーっと頭から離れずにいます。お母さんとふたりでうちに来てくれて膝のあいだに雅一をいれて、肩に桂子がからまっても笑っていたよね。私はお父さんが大好きやった。
家の問題、借金、結婚、出産、子育て、お母さんの病気、お父さんの手術からの介護。あの時期必死やったけど、たぶん私は疲れたのかも知れない。
お父さんに寂しさだけ伝わってたのかもしれない。だけど。ちいさいころから大好きだったよ。大切だったよ、それは今も変わらないからね。
お父さん。ありがとうございます。
私もお父さんとお母さんのいるあの丘にいきますからね。
しばらく、待っててね。これから最後の人生のステージがあるの。どこまでできるかわか、ないけど。あきさんと最後までがんばるから見ていてね。
はなちゃんのランドセル
はなちゃんが来年小学1年生になります。ランドセルをプレゼントしました。なーんかね。キャメル色がいいんだって🤣
ママの時は赤と黒しかなかったんだよーって言いながらね〜
少しずつおっきくなあれ‼️今を楽しんでね。