あたしはぶれない‼️

そうなんだ。人のせいにする人ってすべて人のせいにするんですね。わたしは何なんですか⁉️人形でいればよかったってこと⁉️いいかげんにしてくださいね。

共に時を過ごしてきた仲間だから信じたかった。大好きでした。相談も意見も話し合いも、言うことをきかせるための「フリ」だったのかー。

わたしはわたしの守るべきものを守ります。人間不審に陥って恐ろしい鬼のトラウマに苦しんでるのはわたしです。あなたたちは見て笑っていたでしょう?

女々しいこと言うのはやめてください。わたしはぶれません。二度と。わたしはわたしの大好きなこと、大切なものを守ります!

1年かかって学んだこと。わたしはぶれない‼️

疲れてるかな

最近と言うか、今年に入ってから物忘れがひどい。人に嫌な思いをさせていないか気になる。かなわんな。

物を置いたとこ.聞いていたこと。メモがないと忘れてる。病院に行くべきか。怖い。

ほんとに人との繋がりが怖くなる。話をしたくなくなる。商売がらそうもいなかい。携帯、ノート,手放せない。口約束したものなら恐ろしいほど忘れてるから繰り返し思い出さないといけない。

ここ2年くらいを振り返りたまっていることを書き留めながら,消化できるかも考えてみたがどうも無理のようだ。

ただ、書き記しているから私が居なくなっても残ることだけがホッとする。

書き残したいと言うのももう一つあるからそれができたら,少しは自分が安定できるだろうか。

絶望だったのだが

もう書いてしまいたい。

昨年2020年。コロナ第一波終了後、少し落ち着いていた。6月からは皆お店を再開始めていた。うちも5月半ばから再スタート。所属しているカントリーユニットも練習を再開した。9月にはライブをすることも決定した。

しかし、私はどうも体調が良くない。耳鳴りがしょっ中ある。ボコボコ大きな音も鳴る。「これはおかしい」やっと病院に行く気持ちになった。突発性難聴。精神的ストレス。メニエール症候群になっていた。商売をはじめてから、いえ、それ以前から誰にも言うに言えないことがあった。30年自分で持っていた。なぜかと言うと子供がいたから。私は喧嘩をしても言い合いをしても、何も口答えできない。小さいときから。意見交換や会議をするのは平気です。だから結婚しても喧嘩など立ち向かうことは絶対にしない。出来ない。ただ、腹が立つと喋らないだけ。どこか違うのかと言うと、「腹が立つと喋らない」のと「辛いから喋れない」である。主人は普段は普通に話せるけど、ふとスイッチが入って機嫌悪い時、意見が違うとき、目がキツくなって睨んで暴力的な話し方になる。しかも論理的に弁達でスキがない。だから必ずどんな時も負けるし、言葉を返せないから喋れない。だからだまる。いわゆるモラハラです。これを感じてるのとやられてるのは私だけ。でもこれの三分の一は子供達にもしてるからみんなパパには反発しない。それに反抗したのは長男だけである。私が感じてる三分の一を返したような気がしたこともある。ただ、兄弟、親戚、親が言う「出来た人間」であるから人のウケは非常に良い。私の言うことなど誰も信用しない。そんなこんながたまり、サラリーマンのときは家を離れてるから良かったが、一緒に仕事をするようになると上司と部下のような毎日が怖くなっていたころである。ねこかわいがりする部分と吐き気を催すくらいに屈辱的な扱いをすることが(本人はそれを感じていない)苦痛になっていた。高校からの付き合いだから友達みたいでいいねとひやかされて、ニコニコ笑う主人であるが、私は怖かった。何もないときは何も問題ない。普通の会話。とりとめのない話では笑う。でもスイッチが入ると変わる。怖い。

普段はなんでも私のする事に反対なく、今の仕事も私がしたいようにしてくれてると人は見るから感謝しないとあかんて。そのとおりである。私は怖いからなんでも聞く。こうしたらよいか、ああしたらよいか。そこに意見が加わったりする、変更にもなる。これは普通。これでうまく行けば問題ない。何かが違ってきたとき、主人の思惑が違ったとき、私がその通り動くかなかったとき、私の言う通りにしてるようで実は手のひらで動かしていることが思い通りにならないとき変貌する。「そんなことはどーでもいい、お前がいうたやないか、お前がやったやないか、お前が!」

これに私は悩み続けて医者にいくようになった。

妹たちは信じられないようである。でもあたりまえである。父親が全く同じ、いや、それ以上に暴力的なモラハラパワハラであった。昔の女性は耐えることを知っている。お義母さんは完全にバカになってフォローし、最終はひとことかましていた。それはようできない。恐ろしくて。

本人は全くわかっていない。自分は全て正しいと思っている。間違えたと感じた瞬間はいつも一言言う。「オレがボケてる?」それ以外は「お前のせい」なんだと私は理解している。私は「お前」ではない。

少しすつ意識してきもちを整えるようにする。メニエール病はましになった。だって倒れるわけにいかない。ライブがある❗と昨年夏までは思っていた。

長男の会社もコロナであかんくなった。昨年晩秋に離婚もした。もともと上手く入ってなかった。子供のためにもっとお互いがお互いを認めればよかったのだが。私は孫たちの顔を見ていきたい。

主人は変わらない。私がどう変わればいいのかなんて最初の20年は考えていたけれど、後の20年はスルーするか耐えるだけになっていた。でもサラリーマン、単身赴任がその中に10年あったからこの間はわすれていた。福岡7年は問題ないけれど、東京2.5年は肌に合わなくて体の調子が悪くなるので考えた上で退職。1年は西国を回ったりしてゆっくりしている間もさほど違和感なかったが、病院の調理補助の仕事にいくようになって少しずつ以前の話し方、怒り方態度が戻ってきた。私は息を飲むようになってきた。それから今に至る。私は毎日、相手の顔を見るか、自分自身がブツブツいうてる。働くようになると上にたちたくなるのか、働いていると言うプライドか。

主人にこれから先やりたいことはあるのか、起業したいのかみんな聞いた。特になし。それならまだ還暦前、カフェをしたいけど、せっかく音楽をしてるからライブできるカフェがいいと提案。それに乗ってくれたことには全てをかけて感謝する。

一昨年の春にわたしはすこしアルバイトにもでたが4ヶ月でやめた。お店があるから。

バンドの友人に建築士を紹介してもらいお店を完成させて2019.7.20にオープン。

主人は料理が好きな方。いろんな料理を考えてメニューを作り上げる。楽しそうでもある。

私は今までライブしに行く側からライブをしてもらう店の人間になった。どんなところに、注意したら良いか、来ていただくミュージシャン。でもいままでのミュージシャンとしてのお付き合いや繋がりで土日にライブをしていただけるようになった。すばらしいことである。近くのミュージシャンの方もクチコミや紹介できていただけるようになった。料理も徐々にふえて定番メニューもできた。ランチもする。1周年も迎え、軌道に乗れると思っていたときにやってきたコロナ感染症。コロナ感染症には最新の注意がいる。ミュージシャンには家族がいる、感染はそこまで影響し、命が助かっても最終的にはミュージシャンの活動範囲も狭めてしまう。店側の配慮はどこからどこまでするのか、または最低限どのような考え方でどのように対策するのか。昨年4月に主人の父親が亡くなった。それと同時に緊急事態宣言で休業を余儀なくされた。

お店オープンにあたっていろんなかたにおせわになりました。バンドメンバーのH氏はもとより音楽仲間の先輩T氏、お世話になっているライブハウスのマスター。Y氏とM氏。M氏にはミュージシャンも紹介していただいたりして何かと相談させていただいていました。そして、第一波があけた昨年6月からバンドの練習もはじめ、9/19に行うA店でのライブに気持ちを高めていたとき、最初に書いた突発性難聴になって、体調がコロッとかわった。しんどい。めまい、頭痛。毎日点滴。そして精神的ストレスからのメニエール病。点滴をしたあと練習へ向かうこともあるため、なぜそのようなことになったか、言うたほうがよいか。これはかなり考えてバンドメンバーにはなしました。主人から感じること。その感じは彼らも薄々感じていたようで、それから主人のことを悪言うてくるようになりました。私を元気づけようと逆のことをいうてくれるのか。最初はせやねんーと聞いていましたがあまりこのましくはなくなりました。でも、ライブにむけて頑張りたいので知らん顔をし、しんどくても、家族からライブは無理ちゃうのと言われても、もう断れないし、自分もしたいしと。続けていきました。

ライブカフェをしていると、今までのお付き合いからライブしにおいでと声掛けてくれたり、あたらしくしりあったかたからも「ママ、きてよ」と言われてる場合もあったりで、ちょこちょこライブにいかせていただいていました。でも、感染対策のちゃんとしたところ、また、密ではないとこをえらんで、じぶんも対策ちゃんとしていっていました。でも、そうやって出ていくから自分のライブを体がしんといから延期とかいえなかった。30分以内のそろ5~6曲と2~3時間、25曲のワンマンとでは体力的にも精神的にも負担はありますが、楽しみにしているメンバーには延期してなんて言えません。また、コロナの対策で大変なこときなってきて、まさかじぶんがバンドをやめざるをえない事になるなんて考えもしませんでした。そんな状態でライブ当日を迎えた。


でもこの2020.9.19のライブでの経験をがあってから、生まれ変わることができたように思う。それは地獄の鬼がいるとこでした。前回も書いたけど、自分だけでも1度爆発したら楽みたいです。受け答えが楽になりました。自分だけは悔しいけど、人にいうても理解はしてはもらえないから時々自分爆発できて収められるようになりたい。そうこうしているうちに母のもとにいけるでしょう。